ついにコロナも普通のインフルエンザ並みの感染症となり、「コロナは終わった」と言っても良い状態になった。
私が海外の拠点にしているタイの首都バンコクでは、水掛祭りで有名なソンクランはよねんぶりの大にぎわいだったようだ。
コロナは「終わった」と言っても良い状態になった
振り返ってみると、私たち外国人以上に、
タイの現地の人たちは大変な目にあったと思う。
何しろタイは、コロナ前の2019年の統計では、
観光客数では4000万人で世界第7位、
観光収入は600億ドルで、
なんと世界第4位の観光大国であり、観光客相手の仕事をしている人が何百万人もいる。
永住している外国人も多いので、
観光客だけではなく、私たちのようなセミイタリアの人間も非常に住みやすい。
当時、私が住んでいたアソークにはたくさんのマッサージ店があり、それらの約半数以上は閉店に追い込まれた。
レストランもゴーゴーバーも、すべて営業禁止だから、街はゴーストタウンのようだった。
ロックダウンで、バンコクはゴーストタウンに
タイの現地の人たちが受けた影響
観光客相手の盛り場は「灯が消えたようの寂しさ」どころではなく、
本当にネオンが消えていて、オーバーな表現ではなく、歩いているのが少し怖かった。
夜の盛り場だけではなく、コロナ前は観光客や地元の人たちでごった返していた市内の中心部も、全く人影が消えてしまった。
コロナの行動制限が厳しかった頃は、
日本からタイへ行くのも現地と日本で合計3週間から4週間の隔離が必要だった。
そのため、2022年の夏まではタイ以外の国には行っていないが、おそらくベトナムやインドネシアなども同じ状況だったと思う。
私もバンコクで経営していたエアビーのミニホテルが廃業に追い込まれたが、
それまでの利益と日本で支給された持続日給付金を合わせれば収支は充分プラスになったので、まぁあきらめがつく。
コロナによる経営の打撃と、ミャンマー人のメイドへの思い
ただ、かわいそうだったのは、私のミニホテルをメインの仕事にしていた、ミャンマー人のメイドだ。
土日や祝日にかかわらずゲストから予約が入るので、彼女には
「ゲストがいる時は出勤して、空いている日に休んでほしい」
と無理をお願いしていた。
その分、お給料は他のミャンマー人のメイドさんよりも3割以上余計に払っていたので、
本人にとってはありがたい仕事だったはずだ。
最後にホテルを閉めることを伝えた時は、本当に涙が出た。
それでも、彼女が最後に言ってくれた
「このホテルでの仕事は楽しかった」
「またボスが仕事を再開する時は必ず声をかけて欲しい」
という言葉が本当に身に染みた。
私がバンコクに滞在している時は色々と頼み事があるので契約自体はまだ続いているが、
今の仕事は、お給料の割に少しキツそうな感じで、申し訳ない気がしている。
コロナのような社会混乱は、そう度々起こるとは思わないが、そういった時でも着実に収益を得ることのできるビジネスモデルは非常に重要だと思った。
私が日本でのメインの仕事にしている中小企業のIT化のビジネスの方は、コロナの「恩恵」でWEBセミナーが定着して、受講者は倍増した。
結果的には、海外での仕事と国内の仕事で上手くリスクヘッジができていたと思うが、いつも、こんなふうにいくとは限らない。
あらゆるリスクをクリアできるようなビジネスモデルはないが、生涯現役を続けるためには、
いろいろなリスクを想定して対策を立てておく必要があると痛感している。