東南アジアで暮らしていて一番嬉しいのは、
物価の安さではなく外国人の気楽さだ。
私は恥ずかしがり屋というわけではないし、
人前で緊張するタイプでもないのだが、
時々、変な時にドギマギすることがある。
日本との違いを楽しむ
日本でコンビニで支払いをする時にデビットカードの残高が足りなかったり、
駅の改札を通るときにSuicaのチャージが切れていたりすると、
ものすごく恥ずかしい気持ちになる。
誰にでもあることだし、無賃乗車をしようとしているわけではないからドギマギする必要など全くないのだが、こういう時は本当に焦ってしまう。
たかだかコンビニというのも変な話だが、
焦りのがイヤなので、コンビニに入る前に毎回のようにアプリで残高を確認したりもする。
ところが東南アジアにいる場合は、
こういった感覚が全くなくなってしまう。
東南アジアの外国人寛容性
これは東南アジア独特のことで、上海や大連など中国を拠点にしていた頃は少し事情が違い、これほどには「外国人の気楽さ」を感じる事はなかった。
当たり前の話だが、顔立ちにせよ食べ物にせよ、東南アジアに比べれば中国の方がはるかに日本に近い。
漢字にしても言葉にしても、
なまじ少し意味がわかるだけに、
何かの行き違いがあったときに頭が混乱するのだと思う。
同調圧力からの解放
それに比べると、東南アジアの場合は顔立ちも街の雰囲気も日本とはだいぶ違うし、そもそも言葉が全くわからない。
コンビニでもスーパーでも、ポスターやチラシなどの文字は全く意味がわからないから、
頭に入ってくる情報量が激減して、
リラックスできるのだと思っている。
自分勝手の手前味噌の解釈だが、
東南アジアの大都市の場合は、
日本や中国に比べて滞在している外国人の比率が圧倒的に高いので、街全体が外国人に寛容なのかもしれない。
もう一つの気楽さは、同調圧力から解放されることだ。
コロナが落ち着いてきた2022年の終わり頃、
まだタイの人たちは100%マスクをしていたが、外国人の多くはノーマスクで歩いていた。
リラックスした日常の魅力
まず最初に欧米人がマスクを外し始め、
その次に日本人や中東系の人たちなどがノーマスクになっていった。
日本は同調圧力の強い社会といわれるが、
それが高じてくると、
職場の人間関係などで異常なストレスを生むことになる。
意味があろうとなかろうと、とにかく「みんなと同じ行動を取らない人間は協調性に欠ける」などという同調圧力は本当に腹立たしい。
出る必要のない会合に「欠席します」と伝えれば、「みんなが出ているのに、どうして出ないの?」と聞き返してくるような輩とは絶対に同じ空気を吸いたくない。
そういった意味で、東南アジアでの生活では「外国人の気楽さ」で同調活力から解放される。
私にとっては「もう、この生活から抜けられない」ほどになっている。