海外生活で学んだ時間の価値

海外でのんびりと生活するようになってから、
自分で言うのも変だが、
気が長くなったと思う。

私はもともと短期でイライラしがちな人間だった。

行列に並ぶ 待ち時間でも、
パソコンのソフトが立ち上がる時間でも、
常にイライラしていたと思う。

日本の時間感覚と海外の違い

ある時、「アプリが立ち上がる時間にイライラするのは、その画面を見つめているからだ」と考えて、画面から離れるようにした。

そうすると、どんな遅いパソコンで、
どんな重いアプリを立ち上げたとしても、
その時間3分を超えることありえない。

画面を見つめていれば、どんな時間でも「遅い、遅い」となる。

飛行機から降りる時も、
シートベルト着用サインが消える前から立ち上がる人も大勢いるが、
早く飛行機降りたからといって、
どれだけのプラスがあるのかわからない。

セミリタイア生活での時間の価値

そんなことを色々と考えるうちに、
10年位前からセミリタイア生活に踏み切り、時間の制約から解放された。

好きな時間に行動できる自由を手に入れると、イライラは急減した。

「別に急ぐ事はない」
「急いだからといって、何も変わらない」
というような老成した考えが当たり前に身に付くようになった。

よく言われるように、日本の公共交通機関の時間の生活さは異常と思えるほどだ。

1分遅れただけで車内放送でお詫びのアナウンスが流れる国なんかは、世界中どこを探してもないだろう。

それを当たり前だと思っていると、
まず海外での生活はできない。

その違いを欧米などで経験した場合は、
「国によって違うものだ」
「やはり、日本の正確さは素晴らしい」
というような評価になり、

中国や東南アジアで経験した場合は、
「だから中国人はダメなんだ」
「東南アジアの人間は時間にルーズだ」
と不満を感じる人が多いのも事実だ。

時間の過ごし方の工夫

こんな些細なことで自分のメンタルをすり減らしていたのでは、
どんなに莫大な金融資産があろうと幸福感を感じることはできないだろう。

現役時代には日本で社会的な地位を得ていたのかもしれないが、
リタイアしてから別の国の時間管理のあり方についてとやかく言える立場の人などはいないだろう。

要は受け入れるしかないのだ

時間は誰でも1日24時間で平等なのだから、
受け入れてしまえば後は簡単だ。

パソコンやアプリが立ち上がる時間はディスプレイを見なければいいし、行列に並んでいるときは先頭の様子を伺わなければ良い。

東南アジアをめぐり歩いていると、
空港やバスターミナルでの待ち時間は、
日本に比べればかなり長めに並ばなければならない。

長めに見たとしても、
想定通りにいかない確率も日本の10倍以上あるだろう。

そういった時、その待ち時間をどう使うかを想定しておくだけでも大違いだ。

スマホを活用した効率的な時間の使い方

私はこうやってライフログ型ブログを書き続けているので、
待ち時間や空き時間は絶好の取材時間となる。

写真を撮ったり原稿を書いたり、
道中で撮った写真を整理したりと、
やる事はいくらでもある。

そういった行動に、素早くうつれるかどうかが重要だ。

リュックを開いて、パソコンを取り出して起動していたのではで日が暮れてしまう。

すべての業務をスマホに集約して、
とにかくスマホ1台あれば何時間でも仕事が出来るような体制を作っておくことがセミリタイアライフでは重要だと感じている。