団塊ジュニア:不運の世代からIT革命の世代へ

1971年から1974年 に生まれた団塊ジュニア世代は就職氷河期に当たり、ウィキペディアには「不運の世代」などと書かれている。

団塊ジュニアは本当に不運の世代か?

人生に対する評価は個人個人で違う思うが、
世代全体で見た場合は、
確かに不運の世代かもしれない。

私たちバブル入社組に比べれば、
就職活動ではだいぶ苦労した世代だと思う。

就職活動で苦労のなかったバブル世代も、
その後に吹き荒れた平成不況のリストラで、
かなり痛い目にあったのだが、
就職氷河期に比べれば恵まれた世代だった。

平成不況に関する様々な分析が行われ、
バブルの発生から崩壊までのも因果関係がわかってきたようだが、
私は、その真犯人は上級国民だと思っている。

荒唐無稽で被害妄想のように聞こえるかもしれないが、もともと私は

国家が人々を思い、寄り添い、守ってくれる

などというのは幻想だと思っている。

選挙になれば、多くの政治家が

「国民の目線に立ち」「人々に寄り添って」

などと演説はしているが、
そんな事を信じている国民は1人もいない。

日本の社会構造は非情で冷酷

私の母は昭和11年生まれで、子供の頃は看護婦だった叔母と一緒に旧満州国で暮らしていた。

歴史に詳しい人はよく知っていると思うが、
満州国は日本の傀儡国家として作られ、
王道楽土と宣伝されていた。

そこに住む日本人は、

関東軍という、世界最強の無敵の陸軍

が守ってくれるから、
絶対に安全と教えられていたらしい。

しかし、ソ連が攻めてくることを事前に知った関東軍の参謀や幹部たちは、
何十万人もの日本人を置き去りにして、
自分たちだけ先に逃げ出したのだ。

世界最強の無敵・関東軍を信じて、
置き去りにされた国民は堪ったものではない。

バブル崩壊後の日本の大企業では、
40代50代の正社員の雇用を守るために、
新規の採用をストップし、
就職氷河期の世代がその煽りを
もろに食ってしまったのだ。

雇用を守られた側が団塊の世代であり、
氷河期と呼ばれる側がその子供たちの世代
というのも皮肉なものだが、

この時に、いったい誰がこの世代の若者たちに寄り添ってくれただろうか。

厳然として存在する日本の貴族階級

この国には厳然として貴族階級が存在し、
それを取り囲むように上級国民の世界がある。

大企業や様々な経済団体、官僚機構とそれらの天下り団体が上級国民層を形成している。

その権益を死守するために、団塊ジュニア世代が切り捨てられたのだ。

しかし、鉄壁と思われたこの構造も、
情報革命やAI革命の波に抗うことができず、
いま崩壊の危機に立たされている。

これも私の荒唐無稽な妄想だが、
この大きな波は、明治維新や敗戦に匹敵する、
日本の社会の大変革につながると思う。

おそらくそれは革命と呼んでも良いような
劇的な社会の変化になると思う。

歴史を振り返れば、不思議な韻律に気づく。

80年で繰り返される不思議な韻律

明治維新から80年で敗戦を迎え、
やがてその敗戦から80年になろうとしている。

80年という周期に理論的な根拠はないが、

「歴史は繰り返さないが韻を踏む」

の例え通り、
新しい時代に活躍するに相応しい
新興勢力の時代がやって来るのだ。