海外で1年の半分を過ごすようになってから、
性格が明るくなったような気がする。
海外生活で変わったこと
自分で言うのも変な話だが、
それまでは仕事の重圧で、働きづめの毎日が続き、仕事中にのんびりと会社のスタッフと話をすることなんか殆どなかった。
それが2014年頃から、いろいろな重荷や重圧が次々となくなり、一気に肩の荷がおりた。
ちょうどその頃、海外の拠点を中国から東南アジアに移したこともあり、
いろいろなことが「軽やか」になったような気がする。
究極の幸せを目の当たりにした
ある時、アンコールワットで有名なカンボジアのシェムリアップのゲストハウスに滞在していた時、
近くのカンボジア人の家の軒先で、30代半ば位の若者がのんびりとしている姿を目にした。
ハンモックに寝そべり、片手に8インチ位のタブレットを持ち、
ハンモックの下のコンクリートの上には飲みかけのビール瓶が置いてある。
ゲラゲラ笑っているわけではないのだが、
ゆらゆらと揺れるハンモックと、にこやかな顔が本当に幸せそうだった。
着ているものはTシャツと短パンだけ、ゴム草履が脱ぎかけてあり、その他には何もない。
ただ、その他に何か望むものがあるのか?と聞かれても、何も思いつかなかった。
それを見たとき、
「あー、これが究極の幸せかもしれない」
と思った。
自分がのんびりしたい時に、こんなふうにリラックスできるという自由があるのがとても羨ましかった。
東南アジアでの選択肢の多さとコストの優位性
ただ1年中こんな生活をすることはできないし、1週間もすれば飽きてしまうだろう。
ときには焼き肉やお寿司も食べたいし、賑やかなミュージックバーで騒いだりもしたい。
結局のところ、私たちが求めるものは選択肢の自由のようなものではないかと思う。
選択肢の多さと言えば、大都会にはかなわないし、アジア全体で見れば東京が1番だろう。
ただ、そこで豊富な選択肢を満喫するには、膨大なコストがかかってしまう。
レストランやバーの料金だけではなく、そこに住むこと自体のコストがバカ高いので、余裕のある生活は上級国民にしか許されていない。
ただ、目を東南アジアに向ければ、そこそこの選択肢があり、なおかつ生活コストが安い大都市はたくさんある。
理想の生活:好きな時に好きなだけ選択
バンコクやホーチミンは、東京や大阪に比べれば小さな街になるが、
日本の地方都市に比べれば、巨大な大都市だ。
そこには世界中の料理が楽しめるレストランもたくさんあるし、
盛り場にはバーやクラブ、ミュージックバーなどもたくさんある。
こういった選択肢がある中で、
「好きな時、好きなだけ」
という生活が理想なのだと思う。