海外で行き先不明のバスに飛び乗る楽しさ

海外で、私が地下鉄やバスなどの公共交通機関に迷わず乗って移動できるのは、

大連、上海、ホーチミン、バンコク

の4つの都市だ。

行き先も路線も確かめずにバス飛び乗る

観光の場合はタクシーや旅行社が用意してくれた車で移動することが多いと思うが、
その街を詳しく知るには地下鉄やバスに乗るのが1番だ。

初めて訪れた街でバスに飛び乗る事はないが、

この4つの都市では、どの街でも

「行き先も路線も確かめずにバス飛び乗った」

経験がある。

誰がどう見ても無謀な行動なのだが、
これはこれでとても面白いものだ。

私は地図を見るのが大好きなので、
フリーペーパーに載っている地図を切り抜いて、スマホに保存したり紙のまま折りたたんで持っていたりする。

こういった地図やGoogle マップのおかげで、
大体の位置関係が頭に入っているので、
それほど大きな間違いをする事はない。

乗り間違えたら降りるだけ

万が一逆方向に行ったとしても、
気づいた時点で降りればイイだけの話だ。

いまはGrabやDiDiなどの配車アプリがあり、
それほど心配することはない。

最近の中国ではバスもかなり新しくなったが、
私が通っていた2011年頃は古いバスがたくさん走っていた。

こういった時、新しいバスは中心部の基幹路線を走り、古いバスは周辺を走ることが多く、

そのあたりを手がかりに路線や行き先を予想するのも楽しいものだ。

こんな無茶なことをしなくても、
その街を知ることはいくらでもできる。

ただ、乗り間違えた時の時間ロスを気にしないという事は、

「自分は時間持ち」という事の証明なので、

そこに喜びを感じることができる。

時間を気にせずに生きる喜び

ある程度お金の余裕ができてくると、
「ゆっくりと時間を気にせずに生きている」
ことが、とても幸せに感じることができる。

私の同業者の中には、
どんどん事業を拡大して売り上げを伸ばしている人も多いが、
会社の規模が大きくなってしまい、
いつまでたっても時間の余裕が持てない

「ただ毎日、働いているだけの社長さん」

も何人かいる。

私はそういった会社の規模の拡大よりも、
自分の時間を長く持てることの方に価値を見出しているので、
私と秘書1人だけのマイクロカンパニー
でも十分に満足している。

こんなふうに海外で「行き先もわからないバスに飛び乗る」みたいなことができるので、
それによって得られる新しい発見はお金で買えるものではない。

上海や大連のバスや地下鉄に乗って驚く事は、
日本に比べて10倍も20倍も年寄りに対して優しいことだ。

日本の感覚で言えば「イケイケ・礼儀知らずヤンキー」みたいな感じの子たちでも、
ほぼ100%高齢者には席を譲る。

このあたりの礼儀正しさは、どんな日本人もかなわない。

バスの運転のスピードやカーブの曲り方などは、日本に比べればかなり荒っぽいが、
それは国による違いなので気にする事もない。

中国の場合は車内や道路に漢字表記があることも安心だ。

中国の標識は、とりあえず読むことが出来る。大連中心部。

日本の漢字と微妙に違うのだが、
簡体字を少しだけ勉強すれば、
すぐわかるようになる。

おそらく20~30文字位覚えれば、
ほとんどの表示が読めるようになると思う。

ただ、タイやベトナムで英語表示がない場合は苦労する。

そんな状況でも平気でバスに飛び乗るのだが、自分の目指したところに着いたときの快感はものすごく大きいし、もし間違えたとしても、
それは「経験という宝物を買った」のだと思っている。