海外セミリタイアへの道のりとその実現

海外セミリタイアへのきっかけ

私が海外で生活しようと決めたのは
2011年の7月ごろだ。

その2年ほど前から中国の上海や大連に行き始めて、あまりの物価の安さに驚き、「これならば念願の早期セミリタイアが可能かもしれない」と思ったのがきっかけだった。

2005年から08年頃までは死ぬほど忙しく、
「このままでは体がもたない」
「過労死するかもしれない」
と真剣に悩んだものだ。

自律神経失調症も患い、自宅から職場まで片道30分の道のりですら車を運転することができず、途中で休憩しなければ気持ちが収まらないような状態だった。

「時間外労働100時間が過労死の水準」とすれば、2回も3回も死んでいた位だ。

初期のリモートワークの課題と克服

どこかのタイミングでペースを落とさなければいけないと思っていたところに、
あるきっかけで、2008年から業績が急激に上向いた。

しかし当時はセミリタイアなどとクチにできるほどの蓄えもなく、生活のメドをついていなかったのだが、中国の物価の安さに触発されて「よし、このチャンスを生かそう!!」と決断した。

しかし今のようなリモートワークができるワケでもなく、出かける前に国内での仕事を殆ど終わらせ、海外ではメールのチェックができれば良いという程度だった。

だから当初は滞在期間も1週間程度で、
2ヶ月連続で行って、次の月はお休みというようなパターンだった。

しかし、物価の安さにせよ自分の気持ちの開放感にせよ、「前に進むしかない」という気持ちが強く、今の生活の基本となる様々な取り組みを始めた。

当時は今ほどネット事情がよくなく、
スマホにしても、
今とは比べ物にならないほどの性能で、
かなり苦労したことを覚えている。

それでも当時からリモートデスクトップ機能があったので、ノートパソコンから日本の仕事場に置いてあるデスクトップパソコンを操作することができたのは強力な武器だった。

しかし回線スピードは遅くて不安定だし、
今考えると「よく、あれで仕事ができたものだ」と思う。

ただ、こういった技術的な障壁は、行くたびに改良や工夫を重ねて、いつの間にか今のような全くシームレスなリモートワーク環境がを作ることができた。

海外生活への不安とその克服

当時、1番悩んでいたのは「本当に、この生活が続けられるかどうか」という将来への不安のようなものだった。

その頃から今の円安や現地の物価高を予測していたワケではないが、
「なんとなく変だ」、「こんな恵まれた状態が長く続くハズがない」というような漠然とした不安があったのは事実だ。

当時1番打ち込んでいたのは中国語の勉強で、
言葉が出来ると海外生活も面白くなり、
「将来どうなるかわからないが、とにかくこの道を進んでいこう」と思い、毎月のように通い続けた。

その頃に思っていた事は「退路を断つ」ということで、友人や知人にも仕事の関係者にも、「毎月海外に行く」「フルタイム勤務を辞める」と宣言していた。

当初は、「海外で、一体何をしてるんですか?」という質問を受けることも多く、
中には「コレですか?」と小指を立てる失礼な人たちも大勢いた。

まぁ、楽しいことも色々とあったのだが、
「とにかく通っていれば、何かいいことがあるだろう」と思い、くじけずに通い続けた。

今振り返ってみると、それほど苦労したこともないのだが、中国の物価高と現高・円安が進み始め、「最初の頃とだいぶ状況が違うなぁ」と悩んだこともたくさんあった。

しかし、偶然にもその後に東南アジアへ拠点を移す機会に恵まれ、現在に至っている。

とにかく初心忘れるべからずで、
頑張り続けたのが良かったのだと思う。