リタイアの目標は貯金だけじゃダメ!稼ぐセミリタイアを目指せ

一般的には65歳が引退年齢と言われているが、人によってはパートタイムや非常勤で70歳を過ぎても働き続ける人もいる。

逆に、65歳になる前に、早期退職に応じて引退生活に入る人もいる。

引退年齢やFIREについて

こういった人たちとは別に、40代や50代前半まで会社勤めを続けながら、その間にいろいろな資産形成を行い、早い段階でリタイアすることを目指している人たちもいる。

いわゆるFIREとかアーリーリタイアメントと呼ばれる。

ネットで調べると、これらのFIREや早期リタイアに関する情報がたくさん出てくるが、

それらの8割以上は

1000万円あれば生活できるとか、3000万円あれば大丈夫というような

「いくら貯めれば、FIREや早期リタイアが出来るか」

という情報ばかりのような気がする。

そして、そのために、

アメリカのIT企業の株やETFを定期購入すれば良い

という流れになるのが、よくあるパターンだ。

稼ぐセミリタイアを目指す

私はそればかりではないと思う。

お金は計画した通りに貯まるものではないと思うし、それができる人は世の中全体の2割にも満たないのではないかと思う。

私は貯めるより使う方が得意な性格なので、これまで計画通りにお金が貯まった事はない。
(^o^)

それでも、ある時からは、「これではダメだ」と考えて、
香港のFT-Lifeという保険会社の積立型のドル建て生命保険に加入することにした。

香港のFT-Life保険。世界的に定評のある保険会社だ。

普通の預貯金や株式投資の場合は換金が簡単なので、何かお金が必要になったり、続けるのが難しくなったりすると、すぐ途中で解約したり中断したりしてしまう。

これは、これまで何回も経験してきたので、私には向いてないようだ。

ただ、積み立て型生命保険の場合は「今やめたら損をする」というブレーキがかかるので、何とか続いているが、多くの人たちが同じではないかと思う。

アーリーリタイアをするために3000万円を貯めるという目標を立て、それに実践をする場合、

それによって失う時間や、何かを知ることのできる機会を得られないなど、失うものも少なくない。

さらに株式市場の暴落や金融危機などで、予定通りにいかないこともある。

また、行き過ぎた節約は、自分だけではなく、家族や周りの人たちにも影響を与えてしまうことがあるかもしれない。

ローコストライフの実践

私はそういう考え方ではなく、

「お金を貯めてからリタイアするのではなく、お金を稼ぎながらセミリタイアをする」

というライフスタイルを目指すことにした。

さすがに30代からセミリタイアを考えるのは早過ぎると思うが、
40歳を過ぎた頃、例えば日本で言う厄年の年齢の頃からは、

体だけではなく、メンタルを穏やかに保つのが非常に難しくなる。

毎日、家に帰ってはタメ息をつき、そのストレスを解消するためにヤケ酒やヤケ食いを繰り返すという生活では、途中で体も心がダメになる。

私は、まだ40代の体力も気力もある頃から、バックパッカーのように安宿でも平気で泊まり歩いていた。

結果的に、この頃の経験が、

ローコストライフの予行演習

のようになっていたのだと思う。

50歳を過ぎると、「もう若くはない」年齢なので、この頃からは、自分がどの程度のローコストライフなら満足できるかを見極めるのが良いと考えている。

私自身、この考え方でいろいろなチャレンジを続け、自分が満足できる生活レベルや環境が、大体わかってきたような気がする。

私はセミリタイアライフを目指し、実践している中で、「自分に正直になろう」と決めてきた。

予算を安く上げることだけを考えて、自分が耐えられないような安宿や、清潔でないホテルに必死に耐えるような生活は、最初からしないと決めていた。

もしそれが出来ないのであれば、

潔く海外での生活を諦めようと考えていたが、

実際にやってみると、意外とローコストの住環境でも生活できるものだということに気がついた。

食費が安いのは東南アジアの最大の魅力なので、自分が満足できる住環境が定まれば、

海外ローコストライフのデザインの7割方は完成したと言って良いと思う。

これを65歳を過ぎてから考え出していたのでは、

ある程度、生活コストが高いレベルでリタイアする事になるので、

多分、

「もう少し余裕ができてから」、
「まだ少し心配なので、もう2~3年は働こう」

みたいなことを繰り返して、いつまでもリタイアできないまま、年老いていくのではないかと思っている。

まだ人生を語れるような立場ではないのだが、50代半ば位で、

「自分の目指すライフスタイル」

の予行演習を、年に数回は実際にやってみるのが合理的な人生設計ではないかと思っている。