ダイレクト・レスポンス・マーケティングの成功

私のビジネスやライフスタイルの大きな転換点は2008年だった。

この年の4月に新しく始めたウェブマーケティング特化型ホームページ制作の仕事が大当たりした。

DRMとビジネスモデルの変革

初期制作費用も小さくない金額だったが、何よりも毎月定額の管理料収入が大きかった。

それまでの営業スタイルとは大きく変わり、

ホームページや様々な媒体からの資料請求などに対して定期的にフォローを行う

ダイレクト・レスポンス・マーケティング
DRM:Direct Response Marketing

のビジネスモデルが出来上がった。

資料請求のあった見込み客に対して、
メールや郵送など、様々な形の情報提供を続けていくと、

一定の確率でセミナー参加やホームページ制作等の制約につながるという、
理想のビジネスモデルが確立し、

肉体的にも精神的にも、信じられない位に身軽になった。

今でもよく覚えているのだが、

背中全体にベッタリと張り付いていた
重い鎧のようなものが「バサッと落ちた」

本当に、そんな感じがした。

突然吹いた神風のおかげで、
それまでの小さな業界団体の中だけの営業から、一気に全国デビューを果たし、
北は北海道から、南は九州・沖縄まで、

本当に全国から資料請求やお申し込みをいただくようになった。

その3年後に、自分へのご褒美という感じで、
2011年から毎月のように海外に出向くようになった。

パワハラとの葛藤

ところが、世の中はいろいろなことが起こるもので、何年かそういった生活を続けていると、

「伊島は毎月、海外でサボっている」

とか、

「団体の仕事もロクにせず、けしからん」

などという輩が出てきたのだ。

リモートワークやクラウドでの情報共有、Googleカレンダーなどを駆使して、
どこにいても仕事ができる仕組みを作っていたのだが、

そういったことに疎い役員にとっては、
「適当に海外で遊んでいる」というように見えたようだ。

日本の古い体質そのものの業界団体では、
情弱の役員が幅をきかせており、
私のような存在が目障りに感じていたのだろうと思う。

当時は、まだZOOMやGoogleミートなどのWEB会議は普及していなかったが、

毎週開催される電話会議には海外からでもきちんと参加していたし、
任されていた業界団体のホームページの管理もきちんと行っていた。

ところが、ある情弱役員が

「伊島のホームページ更新は遅い」
「言った事が修正されていない」

などと言い出したのだ。

私は指示された事を忘れるのがイヤなので、どんな場合でも24時間以内には修正を行っていたので、この批判は心外だった。

何の事はない、その情弱役員は
ページの更新(リロード)を知らず、

既にホームページが更新されていても、

「自分の画面は更新されていない!!」

と喚いていただけだったのだ。

コロナ時代の解放感

この頃から一部の役員との折り合いが悪くなったので、2016年頃からはそのグループから少しずつ距離を置くことにした。

会員企業の中にはクライアント様も大勢いたので、退会する事などは考えておらず、
とにかく、

その情弱グループとの人間関係だけを断ち切りたかった。

ところが、こちらが距離を置こうとしている雰囲気が伝わったのか、
その役員たちから何かにつけて嫌がらせや締め付けを受けることになり、本当に心が病んでしまった。

いくら距離を置くといっても、業界団体だから、定期的なイベントもあるし役員会議にも出席しなければならない。

人間はプライドを傷つけられた場合には、
その相手に生理的な嫌悪感を抱いてしまう。

ITやWEBマーケティング以外の分野であれば、多少の事は我慢できるのだが、

自分のプライドを持って取り組んでいる部分に対して、役職をカサに着て、

言われなき中傷を浴びせるのはパワハラ以外の何物でもない。

イベントや会議の席では、クライアント様もいれば、良心的な役員も大勢いるので、感情を露わにすることは出来ず、表向きはミエミエのお世辞を言ったりしていた。

ところが、ここでもまたコロナという神風(?)が吹くことになった。

業界団体の会議やイベントがなくなり、顔を見るのもイヤなパワハラ役員と同じ空間にいなくても済むようになったのだ。

コロナの初期に、ZOOMやGoogleミートなどのオンライン会議が普及し始めた当初、

この情弱役員が右往左往している姿は痛快そのものだった。

コロナで苦しんだ人たちや業界もたくさんあったと思うが、
私にとっては本当にありがたい世の中の大変化だった。