極楽生活の源泉となる3つの自由
私はいま、極楽生活というほどの自由な生活を満喫している。
10年以上前から自分の目指していた3つの自由、すなわち人間関係・時間・場所の制約から解放された生活を送ることが、ほぼ80%以上達成されたからだ。
言論の自由とか職業の自由という概念的なものではなく、1人の個人を制約するのは人間関係や時間の制約だ。
2013年から日本と海外を往復する生活を続けているが、10年ほど前から「この生活を固めよう」と決心して、様々な制約を取り除くことに力を注いできた。
人間関係の制約からの解放
3つの自由の中で最も手強いのは人間関係の制約だ。
私は小さな自動車関連の会社を経営しており、今現在は形態をシフトさせ、同じ業界のITコンサルや、アプリの開発をメインにしている。
中古車販売やカーメンテナンスの仕事がメインだった頃は、最大8人の正社員を雇っていた。
今となっては驚くことなのだが、当時、私たちのような零細業者では、就業規則等ないことが当たり前で、ブラック・ホワイトなどの概念もなかった頃だ。
とは言え、正社員を8人も雇用するというのは、労務管理だけではなく、それぞれの人間関係も、ストレスは半端なものではなかった。
それを徐々に減らしながら、最終的には、今のように秘書1人のマイクロカンパニーまで「成長」させてきた。
規模が小さくなれば売り上げが減るから、必要十分な収入が得られるように、毎月毎月薄皮を剥がすような思いで会社の規模を縮小してきた。
業界付き合いの最小化
同時に、業界団体の付き合いも最小限に抑えながら、コロナを契機にほぼ100%飲み会や会議や会合などの参加をしないようになった。
業界団体の仲間は、みんな同じ業界の人間だから、昔馴染みばかりなのだが、やはり全体の2割ほどは「絶対に交わりたくない下劣な人間」が存在する。
悪いことに、こういった連中は発言力もあり、部下も従えているので、否応なしに付き合いを続けざるを得なかった。
こういった人間関係をバッサリと切り捨てた。
今の生活は極楽としか言いようがない。
バッサリといっても、当初は電話番号も登録していたし、LINEやMessenger等でもつながっていたが、あるときに、それらも思い切ってブロックしてみると、「あ、もともと関係ない人たちだった」ということに気づいた。
人間関係というのは、形があるものではないので、こういった接点を断ち切ってしまえば、「関係のないよその人」になってしまうことに、当たり前のことだが、その時に初めて気がついた。
時間の制約からの開放
そうやって、会社の規模や人脈を縮小していく過程で、当然収入減少と背中合わせだったので、その分仕事には相当に力を入れた。
海外での一人暮らしの生活は、ともすればルーズになりがちだ。

何時に起きても誰にも怒られないし、ミーティングやズーム会議に遅れても「時差のせいで」などと言い訳もできるので、時間管理はできるだけ厳密にするようにしていた。
ところが、2024年の春に少し体調を崩し、「仕事より健康管理」にシフトしてからは、時間の制約も大きく減らすことにした。
具体的には目覚ましのアラームはかけず、仕事のアラームや時間設定もやめることにした。
長年の習慣で、もともと私がコアタイムと決めていた午前8時から11時までの3時間はかなり厳密に守っていたのだが、今はその制約も外した。
それでも体で覚えた習慣なので、8時半とか9時からは仕事モードに入り、タイマーもかけているわけではないのに、大体3時間前後で一仕事が終わるようになっている。
睡眠でも仕事でもそうだが、アラームに追われているのと、アラームなしで同じ時間、睡眠を取ったり、同じ時間仕事をするのでは、ストレスの度合いが桁違いだ。
こういった時間の制約から解放されたことも極楽生活の大きな要因だ。

