ドル建て資産を始めた理由
本格的にドル建て資産を持とうと考えたのは2014年の後半だった。
それまでにもソニー銀行などのネットバンクで20万~30万円位のドル預金は持っていたが、本格的に資産形成を始めようと思った理由は急激な円安だ。
2011年から始めた日本と海外の往復生活も3年を超え、
色々と経験値が上がってきた。
当時はまだ東南アジアには進出しておらず、
中国各地を回っていた。
初めて上海を訪れたのが2009年で、
その時は1元11円という超円高だった。
中国の物価はまだ安く、食べ物でもタクシーでも、
「こんなに安くて申し訳ない」
「本当にこの値段で良いのだろうか?」
と思うほどだった。
友人と3人で入った中華料理店で頼んだチャーハンが、
3人で食べてちょうど良い位の大盛りで16元(180円弱)だったことをよく覚えている。
当時、上海のタクシー初乗りは12元(130円)で、大連は8元(90円)だった。
ところが2012年暮れにアベノミクスが始まってからは、
急激な円安が進み、
人民元が一気に20円まで上昇した。
ドル円では80円前後の超円高から、
一気に125円まで円安が進んだ。

それまで中国では、行くたびに「安い、安い」と、
殆どお金の事など気にすることなく遊んでいたのだが、
さすがに「感覚的には以前の差2倍になった」というのは非常に大きかった。
積み立て保険での資産形成
当時の円安の勢いを覚えている人もいると思うが、
多くの評論家が「150円は間違いない」などと、
さらに円安が進むという予想が圧倒的に多かった。
それを鵜呑みにしたわけではないが、懇意にしていた保険代理店の営業マンがドル建ての積み立て保険を勧めてきた。
とても信頼している営業マンで、今でも長い付き合いを続けている。
彼に言われるままに2万ドルの保険を契約した。
月々の支払いは120ドル位だったと思う。
もともと性格的に、貯蓄とかコツコツお金を貯めることが苦手で、あれば使ってしまうし、「なければ稼げば良い」という職人のような性格だった。
しかし、「トシも歳だし、そろそろ貯蓄でも始めるか」というような感覚で、ドル建ての資産形成を始めた。
その頃は私の日本国内での仕事が絶好調で、
資金的に十分な余裕があったので、
その後2年ほどで合計7本の保険に入ることになった。
ドル建ての合計金額は25万ドル位になり、
なんとなくドル建て資産ができたような気がしたのだが、
あくまでもその金額は死亡補償金であり、
契約から何年かで途中解約すれば元本割れになるので、
頑張って毎月の支払いを続けた。
円高の進行とその影響
しかし、その数ヶ月後から一気に円高が進み、
コロナでのヘリコプターマネーが始まる直前まで、
一時は1ドル100円に迫るほどの円高が続いた。
いま思うと笑い話のようなのだが、
「毎月の支払いが楽になった」と喜んでいたのだから、
笑ってしまう。
株式投資ではなく積み立て保険なので額面が変わる事はないし、3%の確定利回りの金融商品だから、ドルで考えれば全く問題ないのだが、円建ての資産評価額はどんどんと減っていたのだ。
ノマド生活への転機
ところが、その頃から軸足を東南アジアに移したことが大きなプラスとなった。
いま振り返ってみると、私が目指している「安い生活できる場所を目指して各地を渡り歩く」ノマド生活が始まったのはこの頃だった。
ずっと温めていた「生涯現役でユルく働き、物価の安い国で暮らす」という考え方が、急激な円安の影響で少し揺らぎ始めていた時期だ。
その考え方を持つようになったのは、
1元11円という超円高のパワーが前提であり、
物価が安くて住みやすい国を探せば、
低予算のFIREが実現できると考えたからだ。
今では1元21円位なので、中国の物価高を考えると、
15年前の3倍位は割高に感じるかもしれない。
東南アジアでの生活の魅力
ところが、本当にラッキーなことに、
バンコクやホーチミンには激安空間が残っており、
結果的には円安が今の生活を始めるきっかけとなった。
1元20円とか1バーツ4.5円の超円安が定着してみれば、
「まぁ、こんなものか」
「高くなったけど仕方がない」と割り切ることができる。
それでも私が考える、「日本の大卒初任給の2分の1で暮らす」という基準は十分に満たしている。
しかし、訪れるたびに1万円札の価値が減っていくプレッシャーは半端ではない。
もし、その時にドル建ての資産を持っていなければ、
途中で挫折したり、あるいはラオスやカンボジアなどでの生活を検討しなければならなかったかもしれない。
日本円の価値が低下しても、相対的に価値を保っているドル建て資産があると言う事は非常に心強いのだ。

