海外ノマドから学ぶ「精神的断捨離」の極意

海外生活における「断捨離」の本質

後輩や知人から「伊島さんは、海外で何をしているんですか?」と聞かれると、時々私は「断捨離をしています」と答えることがある。

ところが、私の海外での生活は基本的にキャリー1つとリュック1つの生活だから、断捨離をするようなものすらない。

日本から海外へ向かうたびに徹底的に持ち物や装備を点検し、ギリギリまで軽量化・簡素化しているので、本当に物の断捨離をする余地は殆どない。

精神的断捨離への取り組み

私が海外で日課のように行っているのは、抽象的な意味での断捨離だ。

日課といっても、毎日時間を決めて行うルーチンワークのようなものではなく、生活や暮らしの「テーマ」といったような意味だ。

抽象的な意味の断捨離というのは、ものを捨てるとか不要なものを持たないという考えとは別に、執着やこだわりを捨てるというような意味だ。

ここ数年で取り組んでいる精神的な断捨離は、お金や時間の使い方だ。

お金の断捨離といっても、もちろんお金を捨てるわけではなく、お金に対する考え方や執着、こだわりを改めることだ。

異文化環境による物質的欲求の自然な抑制

私はそれほど禁欲的な人間ではないし、夜遊びもカジノも好きな方なので、それほど求道的な人間ではない。

それでもライフワークである「海外でユルく働きながら、低予算で暮らす」を実践するためには、ものに対する欲望やお金に対する執着は邪魔になる。

私が暮らしているバンコクには日本人も多く住んでいるが、日本人向けスーパー以外では、並んでいる商品は現地語で表示されているので、値札や説明を見ようとも思わない。

レストランやバーにしても、欧米人が集まっていれば少し躊躇して入りにくくなるし、現地の人で溢れているお店には言葉の壁などで、やはり入りにくくなる。

これが非常にプラスに働き、モノや欲求、食べ物に対する欲求が極めて少なくなる。

これは大発見だった。

断捨離生活の究極の姿はショッピングモールなどがない田舎でのんびりと暮らすことだろうけれども、私は選択肢の多い大都市での生活を選んでいる。

大都市には物質的な欲求を刺激する仕組みが満載されているが、言葉やコミュニケーションの壁がそれを消してくれるので、苦労せずに断捨離が可能となるのだ。